皆さんは「自己受容」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
自己受容とは、自分のあらゆる側面を受け入れられていることを意味します。そして、多くの人にとって自己受容は難しく、自己受容が出来ることは憧れそのものでしょう。
ただ、それだけに、自己受容ができてる人とは一体どんな人なのかと疑問を抱くこともあるかもしれません。今の自分と掛け離れすぎていて、イメージが湧かない方も多いでしょう。
そこで本記事では、自己受容できてる人の特徴や見ている世界、彼らの生き方について解説します。
本記事を通して自己受容に関するイメージを持つことで、あなたが自己受容できてる人になるためのゴールセッティングができるはずです。
1. 自己受容できてる人の特徴
早速、自己受容できてる人の特徴を説明していきます。実は、自己受容できてる人には、6つの特徴があり、あなたがあなた自身を受容することで、あなたも以下の6つの特徴を得ることができます。
1.1 他人からの評価や称賛を必要としない
自己受容できていない人は、誰かからの評価や称賛を得るために、自分の人生のすべてを費やすこともあります。
たとえば、高学歴や一流企業、豪邸、高級車、魅力的な結婚相手、ブランド品など、評価や称賛につながる要素を得るために、自分の人生の時間やエネルギーの全てを費やすなどです。
これに対して、自己受容できてる人は、誰かからの評価を必要とせずに生きることができます。
もちろん誰かから認められば嬉しいと感じますし、実際に、誰かから褒められることも人一倍多いのですが、自己受容出来ている人にとって、それは無くてはならないものではありません。
なぜなら、自分で自分のことを受容できているため、他人から称賛されることや評価されることを必要としていないからです。
他人が自分を称賛してくれるかどうかは、自分にはコントロールできない部分であるため、他人からの称賛を渇望してしまう人は心が不安定になりがちですが、自己受容できていれば、他人の態度によって心が揺れ動きません。
自分が自分の一番の味方であり、自分で自分を受け入れ、自分の心を十分に満たす事ができているのです。
1.2見栄を張らない
自己受容できていない人は、見栄を張りたい欲求を抑える事ができません。
先の例のように、高級車やブランド品などを求めるのが分かりやすいですが、それ以外でも、誰かの前では格好の良いところを見せようと感じ、不都合な自分を隠したくなる気持ちが動いたりします。
たとえば、来客用に料理を作ろうとしたら途中でちょっとした失敗をしてしまい、見栄を張りたくて、全部最初から作り直すなどです。
これに対して、自己受容できている人は、見栄を張ることを目的とした行動を取りません。
すなわち、ブランド物の洋服や車を手にして、他人からすごい人だと思われることを目的として選択しないのです。
仮に目立つ行動を取ったとしても、それは彼らが目立つためにその行動を取ったのではなく、別の理由からでしょう。
もちろん、別の理由から選択をした結果として、目立ってしまうようなことはあります。
たとえば、世の中のために本当に役立つものを作ろうということだけを意図した結果、たくさんの人の目に止まり、結果として目立ってしまうなどです。
自己受容できている人は心に余裕があり、見栄を張って誰かの注目を集めることを魅力的と感じる感性を持ち合わせていないので、あえて見栄を張ることはしないのです。
1.3 感情の起伏が激しくなく、静やかな心をしている
自己受容できていない人は、受容できていない心を他の何かの体験によって埋め合わせることに躍起になり、その過程であらゆる感情反応をします。
たとえば、誰かに嫉妬したり、自分のプライドを傷つけられて怒ったり、失敗して自分を責めたり、誰かの期待に応えようとして疲弊したりするなどです。
一方で、自己受容出来ている人は、そうした遠回りを一切必要としません。自分の欠点も自分で受容することで安心した心で居られるので、それ以上の行動を必要としないのです。
すると行き着くのは、感情の浮き沈みの少ない穏やかな時間です。自己受容できてる人は、波風ひとつ立っていない水面のような平穏な心の持ち主です。
怒りっぽさや気性の粗さとは無縁で、よほどのことがない限り心が揺れません。
1.4 心がタフである
自己受容できていない人は、心がヤワで崩れやすく、ちょっとしたことで左右されます。
そして、自分でそれを自覚しているので、あまり刺激の強い場所に出向くのは避け、引きこもる選択をする人もいます。
あるいは逆に、自己受容出来ていない自分の心に触れられるのを怖れ、攻撃的な態度ばかりを取って、一見すると自分に自信のあるように見える態度を取る人もいます。
受容できていない自分の心に触れられるのが嫌だから、「攻撃は最大の防御」と言わんばかりに相手を威嚇しているのです。
ですが、それも、心がヤワであることの現れのひとつに過ぎません。
これに対して、自己受容できてる人は、心がタフです。
自分の心を受容できているがゆえに、心に余裕があるので、一見するとストレスフルな仕事や環境へと挑戦することもできます。
イメージ的には、言語が話せない国へと、大した準備もせずに一人で旅行に出かけるようなことを、自己受容できてる人は平然とやってのけます。
「図太い」とか「芯が太い」といった表現をされることもあるでしょう。
1.5 必ずしも派手な人であるとは限らない
自己受容できていない人は、受け入れられない自分のことを価値のない人間だと思っているので、自分の存在を証明するために派手な何かを求めたがります。
そのため、肩書を得ることや、集団の中のリーダー的立場になることにこだわる傾向があります。
一方、自己受容できてる人は、そうした肩書や立場に拘りがないため、意外と大勢の人のなかに埋もれることがあります。「明らかにすごそうに見えて、実際にすごい人」というよりは、「あまりすごく見えないけれど、実際はすごい人」になることも多いのです。
1.6ハイスペックであり何でも上手くいく
自己受容出来ていない人は、人生の何かの分野で上手くいったとしても、別の分野では上手くいかないことが多くなりがちです。
なぜなら、自己受容出来ていない人が何かを得ようと思ったら、自己受容できていない心の歪みをどうにかするために部分最適的な無理な頑張り方をせざるを得ず、結果として他のことを犠牲にしてしまうからです。
仮にそれで上手くいったとしても少数分野に限定されます。
これに対して、自己受容出来ている人は、ハイスペックであり何でも上手くいきます。
複数の仕事が全て上手くいき、家庭も円満で、趣味も順調で、健康で、心も豊かで、それでいて自分の好きなように生きているなどです。
あらゆる分野が一流でハイスペック人間であり、望むことは何でもうまくいく人生を生きています。(本人が全く関心を持っていない分野は除きます)
2. 自己受容できてる人が持っている世界観
そんな自己受容できてる人が見ている世界を垣間見てみましょう。彼らの世界観の共通項としては、以下の2つが挙げられます。
2.1 愛されるのが普通だという世界観
1つは、自分は愛されるのが普通だという世界観です。
自己受容できていると、他人からも愛されます。これは、自分が思っていることが現実化するという基本原則に基づきます。
その結果として、自己受容出来ている人は、誰かでも当たり前のように愛されるので、それが当然だと思って他人と接しています。
これは、仲の良い人間だけに対してだけではなく、初対面の人に対してもそのように感じるわけです。
2.2 人生は簡単だという世界観
もう1つは、人生は簡単であるという世界観です。
上述した通り、人間関係が上手くいくうえに、ハイスペックであらゆることが上手くいくので、生きることが簡単だと感じるのは当然でしょう。
3. 自己受容できてる人の生き方
最後に、自己受容できてる人は、何をして生きているのでしょうか。
その答えとして、自己受容できてる人は、「自分が感じたいことを感じること」に時間を使って生きています。
具体的には、安心を感じること、気持ちの良さを感じること、幸せだと感じることなどであり、感じたい感覚は人によって異なります。
私たちのあらゆる営みは、何か形のある成果や物を得ることではなく、それによって何かを感じることを真の目的としています。そのため、本来私たちは、こうしたポジティブな感覚を抱くために生きているといっても過言ではありません。
そして、自己受容できてる人は、誰かに受け入れてもらうことに自分の人生の大切な時間を使わないうえに、経済的にも余裕があるので食べるための仕事をする必要もありません。
だから、繰り返しになりますが、「自分が感じたいことを感じること」に時間を使って生きているわけです。
感じるという力を持った「人間」らしい生き方の究極であり、なんとも贅沢な生き方と言えるのではないでしょうか。
4. 自己受容できてる人 まとめ
- 自己受容とは、自分のあらゆる側面を受け入れられていること。
- しかし、多くの人にとって自己受容は難しく、自己受容が出来ることは憧れそのもの
- 自己受容できてる人には、以下の6つの特徴がある
- 他人からの評価や称賛を必要としない
- 見栄を張らない
- 感情の起伏が激しくなく、静やかな心をしている
- 心がタフである
- 必ずしも派手な人であるとは限らない
- ハイスペックであり何でも上手くいく
- 自己受容できてる人が持っている世界観の共通項は、以下の2つである
- 愛されるのが普通だという世界観
- 人生は簡単だという世界観
- 自己受容できてる人は、「自分が感じたいことを感じること」に時間を使って生きている。これは、感じるという力を持った「人間」らしい生き方の究極であり、なんとも贅沢な生き方である